
中外合同法律事務所は、小林俊三先生(東京弁護士会と第一東京弁護士会の激しい対立を目の当たりにし、この対立の仲に立って緩衝し、そして一つに統一された東京弁護士会に戻さなければと、第二東京弁護士会の創立を思い立って同志を集め、大正15年の創立に尽力した。第二東京弁護士会会長、戦後の初代東京高等裁判所長官、最高裁判所裁判官を歴任)が大正12年(1923年)9月の震災により神田錦町の事務所が被災したため、友人の居た丸の内の鉄筋5階建赤煉瓦の三菱二十一号館に移って執務したのが始まりです。
その後太平洋戦争、敗戦、連合国により第一生命ビルと共に三菱二十一号館も接収されたが7年後の講和条約の発効により返還されました。雪下伸松は昭和35年4月から7月の弁護修習を小林俊三・今井忠男法律事務所で修習し、裁判官志望であったが、両先生特に小林先生の傑出した人品学識正義感と行動力に傾倒し弁護士を志すようになり、入れて頂いて正義と弁護士道を学びました。昭和38年改築のため富士製鉄ビルに移り、さらに昭和46年国際ビルに移転して50年以上の年月が経ち、両先生は共に昭和57年に亡くなられましたが、事務所は創立102年になります。
このたび、国際ビルが改築高層化のため移転の必要を生じ、一部の者は青山に行きましたが、私共は小林先生の恩義があるので高くても先生の好んだ丸の内に残って中外合同法律事務所を維持することとし、令和6年12月から隣接の新国際ビルに移って執務しており、これからも小林先生から教わった正義と弁護士道の伝統を守り、励んで参る所存であります(弁護士を補充する予定です)。
事務所はJR有楽町駅や地下鉄の諸駅とは国際ビル同様に地下で直結しておりますので、今後も何卒宜しくお願い申し上げます。
昭和58年 | 第二東京弁護士会 副会長 関東弁護士会連合会 理事 |
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昭和59年 | 日本弁護士連合会 常務理事 |
平成2年4月〜6年3月 | 法制審議会 民法部会 委員 |
平成30年、令和元年度 | 第二東京弁護士会 環境保全委員会 委員長 |
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平成30年度 | 東京三弁護士会 環境保全協議会 議長 |
令和3年度 | 日本弁護士連合会 公害対策・環境保全委員会 副委員長 |